芸能人YouTuber急増 テレビや芸能界の地図が変わるのか?
Youtuberがテレビへ、芸能人がYoutuberに
ヒカキンやフワちゃんなど、YouTuberのテレビデビューが続いていると思ったら、それとは逆に芸能人のYouTuberデビューが止まらない。
とんねるずの石橋貴明や、吉本興業と闇営業問題で仲たがいした宮迫博之、ソロキャンプで火が付いたヒロシ、お笑い芸人の江頭2:50など、枚挙にいとまがない。
「小島よしお」は、コロナ自粛中に「おっぱっぴーチャンネル」で子供たちの心をつかんだ。小学生向けの授業動画で、早稲田出身の頭脳と、子どもが興味を引くわかりやすい説明で、動画再生回数が伸びているという。
またオリエンタルラジオの中田敦彦も「教育系YouTuber」となった。
「中田敦彦のYouTube大学」は登録者数200万人を超え、歴史や政治経済、時事ネタに至るまでテーマは様々であり、分かりやすい解説により30~40代の層を中心に絶大な支持を集めているそうだ。
また二枚目俳優では佐藤健が3日で登録者数の大台100万人を突破したり、ジャニーズ事務所から独立した手越祐也がYouTuberになり開設約2週間で登録者100万人突破したりしたことが話題になった。
彼らは既に多くのフォロワーを持っているYoutuberとコラボ出演したり、友人の人気俳優等と一緒に共演するなどして、早期にアクセス数を飛躍的に伸ばしたのだ。
YouTubeは、「広告再生1回あたりの報酬×動画の再生回数」が収入となる。
チャンネル登録者数の基準や1再生あたりの金額が0.1円前後~0.35円など、ランクによって差があるらしいのだが、放送倫理の制約が厳しくなってきたテレビに変わるメディアとして確立しつつある。
「保毛尾田保毛男」ネタで叩かれた、とんねるずの石橋貴明などは、テレビと違ってYouTubeはスポンサー等に遠慮する必要がなく、自由にやりたいようにできるメディアとしての魅力も大きいようだ。
これまで芸能事務所を辞めた芸人は、知名度を生かして故郷のローカル局で食べ歩きリポート等をするしかなかったが、顔が売れていればYouTuberとして活躍できる可能性もあり、芸能人たちの次の活躍の場としても活用されている。
その背景にはこんな事情がある。
2020年3月発表の電通「日本の広告費」によると、インターネット広告費が2兆1048億円と6年連続で2桁成長した一方で、テレビの広告費は1兆8612億円とネット広告より少ない結果となっているのだ。
また今年は新型コロナの影響により、さらにインターネット広告費が上昇すると予測されている。
このようなことが続くと、結果的にテレビの制作費がカットされ、限られた予算の中で芸能人に回る経費も削減されることにもつながるのだ。
またネット広告では、年齢やエリアの限定など、ターゲットとするユーザ特性に向けた広告を打つことが可能となるのに対し、テレビの漠然とした視聴率だけで広告宣伝費を使うことはスポンサー企業としても難しくなってくるのだろう。
実際に力を持った芸能人にとってはチャンス到来
テレビは芸能人に対して番組出演のギャラを支払っているが、視聴率が高くても低くても出演料は変動しない。
一方で、YouTubeはPVに応じて広告収入が入ってくる。
つまり芸能人の人気やアクセス数の増加が「見える化」され、それに応じて収入が変わってくるのだ。
とはいえ番組制作は、アクセスが稼げる人だけでなくバイプレイヤーと呼ばれる脇役等も必要なことから、収入に直結する動画視聴回数が伸びない人をどうやって雇用するかなど、既存の仕組みも活かしながらの運用が必要になってくるだろう。
しかしアクセス至上主義に偏りすぎると、迷惑系Youtuberの「へずまりゅう」のように、罪を犯しても「アクセスが増えればよい」ということにもなりかねない。
また過去に芸能界で成功を収めた大物であっても、結果が伴わなければ「格下げ」され、ギャラが話題の新人よりも下がっていく、厳しい弱肉強食の世界になってくることも予想される。
でもYoutuberは弱肉強食の世界
YouTubeは、誰でもが参加できるため、世界的な激しい競争が日々展開されている。
テレビ番組と違ってアップロードした動画はアーカイブ化されるため、常に既存のものを上回る水準を期待される動画作りが必要となってくるのだろう。
視聴者数自体が限りある中で、発信者や動画ばかりが増えてもゴミばかりが増えるようになるので、ある程度の時点で淘汰、整理される時が来るのであろう。
Youtuberはアクセス数に応じた料金が入らなければ成り立たない仕組みなので、ここのところもだんだんと整理されていくのではないかと思う。
いずれにしても、まだ成熟していない市場。
今後、芸能人がどのようになっていくのか、テレビとインターネットがどのような展開を遂げるのか、怖いようだが、楽しみでもある。