昔、神立ギャルというモデル並みのきれいな女性が活躍したスキー場のことを知っていますか?
1986年(昭和61年)、一時期、東京都湯沢町とも呼ばれた、新潟県南魚沼郡湯沢町に「神立高原スキー場」がオープンした。
志賀高原(長野)、安比高原(岩手県)などと並ぶ人気スキー場で、バブル景気の第二次スキーブームの中核的スキー場となった。
早朝からの日帰り集客に注力したスキー場で、当時のスキー雑誌等が企画した人気スキー場ランキングでは5本の指に入る国内屈指の人気スキー場だった。
湯沢インターチェンジからも近く、新幹線の越後湯沢駅からの専用バスも用意することで、東京からの足が非常に良く、スキーブーム時には100万人を超える入場者数を集める人気を博した。
実は、この「神立高原スキー場」の売りがもう一つあった、それが「神立ギャル」だ。
スキーセンターの受付やスキー客のリフト券をチェックする担当に若いきれいな女性を配備したのだ。
それまでスキー客のリフト券をチェックするのは、リフトの機械整備をする地元のおじさんがほとんどで、当然色気も何もなかった。
神立高原スキー場の営業戦略は見事で、はじめは女性モデルを雇って「神立ギャル」という名前をブランド化。
「神立ギャル」=「モデルのようなきれいな女性」、というイメージを定着させた後は、きれいな女子大生が「神立ギャル」を目指して冬休みのバイトに応募してくるという形だ。
会社の狙い通り、神立ギャルはきれいな女子大生ばかりで、1990年始めは、当時流行っていたピチピチのデモパンにウエストがくびれたスキーウェア、黒い帽子をかぶった統一のいで立ちであった。
残念ながら「神立ギャル」になれなかった女子大生は、スキーセンターや食堂、スパなどに配置されたが、その女性たちも応募してきているだけあって、決してレベルが低い訳ではなかった。
このようなことから神立高原スキー場は、自然、女性比率が高くなり、おしゃれなカップルが集まった。そして「神立ギャル」を求めて、ロンリーな男たちもやってきていた。
一方で、「神立ギャル」のブランド価値が上がれば、残念ながら増えてくるのがコネ採用である。
「神立ギャルだった」というのが、まるでミス●●のようなブランドになるので、コネを使ってでも「神立ギャル」になろうとする女子大生が出てきたのである。
私が働いていた時には、「神立ギャル」の中に、仕事仲間の中で「サル」と呼ばれる女子大生がいて、とても愛想がいいのだが、残念ながら顔がサルだった。
パンフレットや雑誌用に「神立ギャル」が並んで写真を撮っている風景を偶然見かけたところ、きれいな女子大生が並ぶ中で一番目立っていたのがサルだった。かなりの違和感だ。キレイどころの中に、なぜサルが混じっているのか?
捉えられた宇宙人のような感じだ。
もし自分がカメラマンだったら
「すいません、サルが間違って入っているようなんですが?」
と、言ってしまいそうな感じだった。
「何故あいつが神立ギャルなの?」
と他の部署で働く女性陣からも嫉妬や苦情が出ていて、聞くと「すごいコネがあるらしい」とのことだった。
しかし「サル」は、一人だけ美を意識しないお調子者ということで、神立ギャルの中でも中心的な存在になっていったのだ。
「私の方が上よ」「あの娘には負けない」といった自己顕示欲、心の中でライバル心剥き出しの神立ギャルたちも、サルに負けることはないので安心感もあったのだろう。
そして、サルは、いつしか神立の美女軍団のボス猿になり、常に真ん中に居座るようになったのだ。
すると段々と神立ギャルに近づくために、あえてサルに接近してくる男が現れだした。
美人だと話しかけにくいが、サルだと話しかける際の気分的なハードルが、バリアフリーの床ようにフラットなのだ。
そして「神立ギャル」の中に、人望と権力を兼ね備えた「サルの軍団」が成立していったのだった。
今回、いろいろとググってみたが、神立ギャルのことや、サルが写った写真を探すことができなかったことが非常に残念である。
ちなみに、一世を風靡した「神立高原スキー場」は、現在「神立スノーリゾート」と名前と経営体制を変えて頑張っている。
それがサルの軍団の仕業かどうかはよくわからないが、青春時代の一時期を過ごしたこの地に、いつか、もう一度行きたいと思っている。