わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ、イェーイ!
漫談家の松鶴家千とせさんが2月17日、心不全のため死去した。
享年84歳。
1974年頃
「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ、イェーイ!」
といったキメゼリフで、観客に受けているのか、受けていないのかわからないような独特のノリで、お茶の間を席巻したギャグを覚えている人もいるだろう。
チリチリのアフロパーマにサングラスという風貌で、いわゆる「韻を踏む」、基本的な言葉のテクニックが受けた?のだ。
簡単に言うと「ダジャレ」、いわゆる「おっさんギャグ」を恥ずかしげもなく堂々と言う芸風だった。
シャバダバダディ〜! イェーイ!
俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。
父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜
【解説】
これは松鶴家千とせさんの代表的なギャグで、「焼け」という言葉がダジャレになっている。
「夕焼け」「小焼け」から始まり、
冬になると手や耳にできる「霜焼け」
酒を飲んだ結果として起こる「胸やけ」へと繋がっていく。
俺がむかし満月だったころ
弟は三日月だった
母さんが臨月で
父さんが金欠だった
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜
【解説】
こちらは「月」という言葉がダジャレになっている。
「満月」「三日月」から始まり
月の形ではなく、出産予定日までの最後の1か月(妊娠36週以降)を表す「臨月」
そして最後は、「月(つき)」ではなく音読みの「月(げつ)」に近い音である「欠(けつ)」で締めくくる。
観客の頭の中では「月」を「欠」へと文字変換して「あぁ~っ」といった笑いになる。
実はこの松鶴家千とせ氏は、「世界の北野武」と自分でアピールしているビートたけしの師匠で、「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」といった、放送禁止スレスレのブラックジョークで絶大な人気を誇った漫才コンビ「ツービート」の名付け親でもあったのだ。(諸説有)
では締めくくりに、松鶴家千とせ師匠の在りし日の記憶を思い浮かべながら、松鶴家千とせ師匠風のギャグをいくつか…
【松鶴家千とせ師匠を送る句1】
宮崎県でご当地グルメのチキン南蛮を食べた時に
甘酸っぱい南蛮酢とタルタルソースの組み合わせが最高だった
俺が昔タルタルだった頃
母ちゃんはビア樽だった
おやじはメンタルで
子どもはデジタルだった
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜
【解説】
これは「タル」という響きを繋げたものだ。
母ちゃんだけ体形を表す「ビア樽」で、なんとなく韻を踏む流れが伝わるだろうか。
【松鶴家千とせ師匠を送る句2】
史上最長政権となった安倍首相が打ち出したアベノミクスが全盛の頃、世の中ではアベノ●●が全盛だった。
世の中がアベノミクスだった頃
配られたマスクはアベノマスクだった
職場はあべのハルカスで
テレビはABEMATVだった
【解説】
調べてみると、大阪には大阪市阿倍野区があるので「アベノ●●」がいっぱいあった。
きっとアベノミクス、アベノマスクが流行っていた時には、阿倍野区内では多くの「アベノ●●」が生まれたことだろう。
最後のアベマTVだけ毛色が違って、「アベ」だけが韻を踏んでいる形になる。
「流行っていた映画はアベンジャーズだった」でも良かったかな?
【松鶴家千とせ師匠を送る句3】
そしてコロナ禍の中で開催された東京五輪。
オリンピックに絡めて一句
世の中がオリンピックだった頃
兄貴は自閉症でマニアックだった
父ちゃんが好きなのはカイロプラティックで
母ちゃんの好きなテレビはアド街ック天国だった
【解説】
せっかく東京五輪、北京五輪と続けてオリンピックが開催されたので、「ック」でダジャレを作ってみた。
アド街ックが少し厳しいか…
【松鶴家千とせ師匠を送る句4】
今ではオンライン通勤、テレワークが許される時代となったが
昔は転勤転勤で家族がバラバラになったこともあった
俺の職場が福岡だったころ
おやじは静岡だった
母ちゃんは長岡で
姉貴はタピオカだった
【解説】
数年前(2019年ごろ)に第三次タピオカブームが来たこともあって、最後の「岡」をタピオカの「オカ」で韻を踏んだ。
【松鶴家千とせ師匠を送る句5】
最後に
トランプ前大統領は過激な書き込みでTwitterをはじめとするSNSから締め出しを食らったが、親父たちはLINEの使い方がわからず、センスのないデフォルトのスタンプを使った返事をしまくるという時代背景からひとつ。
アメリカの大統領がトランプだった頃
ひろしが山で語っていたのは一人キャンプだった
エビは英語でシュリンプで
LINEの返事はいつもスタンプだった
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜
松鶴家千とせ師匠の冥福をお祈りいたします。
R.I.P.