俺たちの憧れ スタン・ハンセン
ネットニュースを見ていたら、新日本プロレスの内藤哲也が「2020年度プロレス大賞」最優秀選手賞(MVP)を受賞した(3年ぶり3度目)、という記事が目に入ってきた。
しかし、私たちの世代のヒーローは、プロレスラー「スタン・ハンセン」だ。
「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」と呼ばれたアメリカ・テキサスの暴れん坊だ。
人差し指と小指を天井に向かって突き上げ、「ウィーッ」と雄叫びをあげるロングホーンは、強きものを目指す男たちの憧れであった。
190cmを超える身長に、アメフトで鍛えた身体、かなりゴツいのにエルボードロップなど、一つ一つの技のスピードが早く、華奢な日本人レスラーを吹っ飛ばす迫力に、ブラウン管の20インチくらいのテレビで見ていてもアドレナリンが噴出した。
更に、彼が観客を沸かせ、見せるプロレスの演出としての決め技が「ウエスタン・ラリアット」である。
ラリアットを出す前は、相手をロープに飛ばし、サポーターを整えながら左手を突き上げ、相手をぶちのめすのだ。
テレビを食いつくように見ながら、ハンセンが左手を挙げたら、ボケたおばあちゃんのように、テレビに向かって「よしっ行け!」と言った声が出るくらいだった。
ハンセン発のラリアットは、その後、長州力の「リキラリアット」、ハルクホーガン(歩く睾丸とも)の「アックスボンバー」など、インスパイア系の技も生まれた。
長州力は、その後、自分のインスパイア系の「長州小力」、芳香剤の「消臭力」が生まれることを、この時はまだ知らなかっただろう。
スタンハンセンの試合を一度見に行ったことがある。
新潟の小さな体育館であった試合で、メインイベントは、大仁田厚とプエルトリコ軍団だった。大仁田はジュニアヘビー級なので意外と小さく、見た目では、完全にプエルトリコ軍団に負けていた。
しかし私が見たかったのは、色物の大仁田ではなく、中高時代に憧れたスタン・ハンセンだった。
当時、我々世代に隆盛を極めたプロレス人気は衰え、観客もそれほど多くなかったため、自分の好きなレスラーの登場ゲートに自由に移動できた。昔は金曜の夜8時のゴールデンタイムに中継していたプロレスは、そのころは深夜帯で放送されるようになり、人気も落ちていたのだ。
私はスタン・ハンセンが入場するときに、ハンセンの肩を平手で叩こうと通路に駆け寄った。
いよいよ彼が太いロープを振り回しながら登場すると、彼の圧で腰が完全に引けてしまったが、ちょうど通り過ぎるくらいのときに、結構いい平手を彼の後ろ肩に入れることができた。
すると突然、一度早足で通り過ぎたハンセンが急に振り返り、ものすごいスピードで私の方に突進してきた。
平手が見事に決まったので、彼が怒ったかもしれないと思いゾッとして、身体が硬直した。
すると、私の前をサッと通り過ぎ、私の隣に運悪く立っていた華奢な男を両手の平でプッシュした。
すると隣の華奢な男はポーンと2〜3mくらい吹っ飛び、リング周りの客席として並べられているパイプ椅子を薙ぎ倒しながら倒れた。
あまりのとっさの出来事にボーゼンとしたが、華奢な彼には非常に悪いことをしてしまった。
後で、いっしょにプロレスを見に行ったファンの人に話をすると「気にするな。あれは彼の勲章だ」と羨ましそうに語っていた。
華奢な彼が、その後「ハンセンから突き飛ばされた男」と呼ばれたかどうかは、私には知る術もないが、大けがをしてなかったことを祈りたい。
その後、私は私の代わりに飛ばされた華奢な彼のことを気にすることもなく、リングに上って「ウィーッ」とハンセンが雄叫びをあげるのに合わせて、自らもロングホーンを作って、同じタイミングで「ウィーッ」と雄たけびをあげていた。
周りのプロレスファンの多くも、私と同じように「ウィーッ」と言っていた。
という訳で、リングに集中していた私は、飛ばされた華奢な彼が、その後どうなったのか全く見てもいなかったのだ。
その後、立技のK-1、総合格闘技のPRIDEが全盛となり、プロレス人気は完全に下火となった。
でも今でももう一度ハンセンの往時の雄姿を見たいと思っているのは、私だけではないだろう。
その時は、ロングホーンを作って、もう一度「ウィーッ」と言ってみたい。